1945年、仁愛医療財団法人は創始者廖泉生理事長によって創立され、「仁愛医院」として中国の瀋陽市にて開業致しました。2年後の1947年には、仁愛医院は台湾に移り、台湾の台中市に再開業致しました。
廖理事長は仁愛医院を率いて、「慈しみの心と博愛の精神を用い、患者さんを中心にして考える」という医療目標を目指し、患者さんのために真剣に奉仕して参りました。そして、1992年には、仁愛綜合医院は私立の医療機関から「財団法人仁愛綜合医院」へと変わりました。仁愛綜合医院は台湾で初めて私立医療機関から綜合病院へと変革を成し遂げた病院です。綜合病院へと転身した仁愛綜合医院は「社会から得たものは社会に還元する」という信念の元に、仁愛ならではの医療精神を持ち続けております。その後、廖理事長の長男である廖仁博士が廖理事長の意志を継ぎ院長に就任し、仁愛綜合医院を更に高いレベルへと導いて参りました。
綜合病院となった仁愛綜合医院には大里分院と台中分院があり、住民の方々のために、完璧かつ適切な医療サービスを提供しております。大里分院は現在、台中県大屯区域(大里、太平、烏日、霧峰)で一番大きい地域教学病院として、台中分院と共に、住民の方々の健康管理をお手伝いするという使命を持って、日々医療品質の向上を目指して努力しております。2003年3月1日より、廖仁博士は総裁に就任し、廖理事長の次男である・廖明義博士が院長となりました。・廖明義博士は院長として廖理事長と廖仁総裁の意志を引き継ぎ、五十年もの歴史がある、安定した成長を続けている仁愛綜合医院に活気溢れる体制を導入し、患者さんに多様なサービスを提供できるよう尽力してまいりました。5年後の2008年には、蘇志中医師が・廖明義博士より経営を引き継ぎ、院長に就任しました。財団法人仁愛医院はその後「仁愛医療財団法人」へと名称が変わりました。蘇志中院長の就任後は、「心血管センター」、「台湾脊髄センター」、「IGRT画像誘導放射線治療センター」など専門領域を強化し現在に至っています。新い名称と経営体制を変えた仁愛医療財団法人はこれからも高い技能をもつ専門スタッフの医療チームと最先端の医療設備を元にして、各医学、医療センターと友好の関係を築きながら、より多くの患者さんに健康で豊かな生活が過ごせるように職員一同これからも邁進していきます。 |